ああ 2020/08/09 22:06 801LG No.184453 ほぼ長崎人さん 戦争がない世の中になって欲しいですね、戦争で「勝ち」も「負け」も有りませんそこにあるのは弱者の悲しみ。 東京北区に平和記念像のレプリカが設置されてるとか。知りませんでした。 ところで板橋でFUNKISTさんが「ワン ブラッグ」を路上ライブされたとか、スタジアムで聴ける日が来るかも知れませんね。 志波様より
ほぼ長崎人 2020/08/09 21:35 arrowsM05 No.184452 75年目に思うこと やっと仕事終わったー サッカーとは関係ないが、平和を発信するチームのサポーターとして、また、今日が長崎原爆の日ということで、少し長めだけど許してもらいたい。 私事で大変申し訳ないが、長崎出身のカミさんと出会うまでは、あまり訪れたことのない長崎には何の縁もゆかりもないと思って生きてきた。 原爆の被害にあった人たちは何てかわいそうなんだろう、と同情しつつも他人事だった。 しかし長崎に住み始めてから「被爆二世」という言葉を聞き、原爆は自分にも無関係ではないと意識するようになった。 当時16歳だった大分県出身の父が原爆投下直後、配属先の大村航空隊から救護活動のため長崎入りしたという話は聞いたことがあった。あまりの被害の大きさに無力だったとも聞いた。 そのころ父には特攻隊の出撃命令が出ていたが、出撃直前に終戦となった。 彼は被爆者の認定を受けないまま、まだ若い頃に癌で亡くなったが、原爆との因果関係はわからない。 息子である私は正式な被爆二世でもないし、幼少時より虚弱体質であることも特に関係ないとは思いつつ、私の中にもあの8月9日の長崎との意外なつながりを発見し、それまでの「自分は所詮よそ者」という劣等感が少し和らいだ。 ついでに言うと母は小学3年生の時、北九州八幡の空襲で家を焼き出され目の前に落ちてくる焼夷弾の雨の中を逃げ、その後遠く離れた田舎の親戚に育てられた。 父も母も戦争によって、きょうだいも亡くし人生を大きく変えられてしまったが、私の両親はまだいいほうで、比べものにならないほど悲惨な経験をした大勢の人々の声が、消え去ってしまうことは、あってはならない。 あまり関係のない前置きが長くなってしまったが、長崎から平和を発信するときに大切だと思うのは、ただ言葉だけで「平和」を唱えるのではなく「核兵器の犠牲は長崎が最後でなくてはならない」という強い信念を伴わなければ意味がない、と思うのである。
サル 2020/08/09 21:03 SO-04H No.184448 J2順位 徳島とか、北九州とか、見ていて強いなと思うところが上ってきたね。得失点差とか、長崎も負けとるし。 お金じゃないのかも。 さあ、これからどうするかだね。イバルボ、カムバーック!
はは 2020/08/09 20:35 iPhone ios13.5.1 No.184445 選手達が投稿してる石畳は長崎新聞が見開きで平和公園の石畳の写真を載せてて、今年は現地の平和祈念式典に行けないから自宅でお祈りをして下さいというものです
サル 2020/08/09 20:29 SO-04H No.184443 北九州 連敗が止まって勢いがある群馬に対して、北九州強いな。長崎とした時と全然違う気がする。 さすが、小林監督というところか。 長崎としては、このまま群馬の勢いを止めてほしい。