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32482☆ああ 2016/08/28 20:59 (re)
そんなに説教染みてるかなあ(笑)過疎ってたから、いいかなと思って‥まあ、ついでにもうひとつ。

引いて守る相手にどう戦えばいいのかと悩まされてるけど、それなら逆に考えるといい。
日本は強豪相手に引いても守り切れないよね。格下にも守り切れるかどうかも分からない。なのにどうして、FIFAランクで下回るアジアのライバルたちは日本を相手に引き分けに持ち込めるのか、そこだよね。
アジアのライバル達や強豪にはあって、日本人にはないものがあるということ。それは目の前の相手を倒そうという気迫。日本人は自慢のポゼッションサッカーを披露するばかりで、なにがなんでも勝利をもぎ取らなければという情熱がない。それは皆も感じてるはず。必死な姿を見せたらカッコ悪いと思ってるんだ。えっ!?そんなことはない??‥
でも、サポーターも同じだよ。魅せるプレーや華麗な連携がなければサッカーじゃないと不満を漏らすでしよ?泥臭くてつまらないサッカーは見たくないと監督を批判するよね?それが勝利を二の次にして、魅せるサッカーに価値を置いてる証。
日本人のサッカーは世界から見ればショー。なので、引いても守り切れないし、ドン引きされたら崩せない。通用する相手は日本と同じように魅せるサッカー、ショーを生業とした相手には互角の勝負が出来るけどね。その代わり、堅実で泥臭いサッカーが出来ない。たとえば、日本を負かした相手って、みんな泥臭くなかった?連携や魅せるプレーなんてほとんどない。日本より格上な欧州のチームですら、フィジカル勝負や堅実なプレー、またはずる賢いプレーで仕掛けて来る。はっきり言って日本人の眼には魅力的には映らないよね。なのに、しっかり勝利をもぎ取る。
日本人は何がしたいんだろう。魅せたいのか、勝ちたいのか‥自分たちが何を目指してるのか、そこをはっきりさせないと、ドン引きした相手が民族の誇りを胸に日本を倒してやろうとサッカー人生を懸けて向かって来きたら、そりゃ倒せないよ。
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32481☆ああ 2016/08/28 06:41 (iPhone ios9.3.4)
先生お久しぶりです
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32480☆ああ 2016/08/28 06:02 (re)
日本人はデュエルのことを「玉際の激しさ」と理解してるが、それなら始めから「玉際を激しくしろ」と指示すればいいだけだと思わない??
玉際を激しくしろと、動作に注文を付けるのではなく、ハリルはなぜ「決闘しろ」と言うのか。
それは人間だからだよ。仮に選手たちがロボットなら「玉際を激しくしろ」と命令を出すだろうね。指示通りに動いてくれたら、それでいいから。
つまり日本人は選手たちのことをロボットだと思ってることになる。何に於いても欧州サッカーを見本に、デュエルという意味を、玉際を激しくして闘ってるように見せろという指示だと解釈した。それは選手のみならず同じ日本人であるサポーターも同じ。
しかし、ハリルは選手たちを/日本人を人として尊重してる。心もあれば思考もある。文化や民族の誇り、存在そのものを尊重してるんだ。選手ひとりひとりには自由な意思があり、その生命体を命令により操作する権限は他人にはないと理解してる。
日本人が考えるように、何でも口で指示すれば言葉通りに動く忠実なロボットになれと言わんばかりに、日本の社会的風潮では当たり前の光景となっている、部下の動きの悪さを上司が揶揄するという、動作への不満を漏らした言葉ではなく、ハリルは選手自身が自らの意志により闘いの場/ピッチに立つと決意したなら、己の権限により魂を解き放てというメッセージを込めた言葉としてデュエルと表現してるんだ。

簡単に言うと、日本人はボールホルダーにぶち当たることがデュエルだと思っているが、そうではなく、ボールがどこにあろうと、敵か味方の何れが持っていようと、ボールから遠く離れていようと、ディフェンスだろうがオフェンスだろうが、そういう区切りに囚われず、ピッチの上では戦士であれということ。その魂を躍動させろという、サッカー選手としての原点に戻れという意味が込められた言葉、それがデュエル。つまり日本人はサッカーの原点に立っていないということ。
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