353500☆anibob23 2018/12/25 19:17 (Safari)
男性 45歳
Web Sportiva「豊田陽平の鳥栖愛。「トーレスの控え」のクローザーとして仲間を思う」小宮良之●文
12月1日、鹿島。90分が過ぎて後半アディショナルタイムに入ってから、彼はフェルナンド・トーレスとの交代でピッチに入っている。
<前から積極的にプレスし、しつこくプレスバックし、とにかく試合をクローズする>
監督からの指示を反芻しながら、ハイボールをディフェンダーと競り合い、マイボールにした。90分間を戦って0−0。最終節の鹿島アントラーズ戦は、引き分けでJ1残留が決まる一戦だった。
彼はサガン鳥栖というクラブを、2011年、J2からJ1に引き上げている。大柄な体躯を生かしたゴールゲッターとして注目を浴び、カップ戦を含めた年間得点では5シーズン連続で15得点以上を記録。日本代表としても2013年に東アジア選手権で優勝し、2015年のアジアカップなども戦っている。
「鳥栖で戦うことで、自分はたくさんのことを与えてもらったので、託された時間で与えられた仕事をする。それだけですよ」
そう明るく言い切った男は、クローザーという名の時間稼ぎ役に徹して残留に貢献し、安堵の笑みを浮かべていた。
サガン鳥栖の豊田陽平は今シーズン、「最終節で5チームに降格の可能性」という前代未聞のJ1残留戦を戦っている。シーズン途中、韓国Kリーグの蔚山現代から復帰。古巣を降格させないため、身体を張った。
「鳥栖は降格するようなチームではないですよ。せっかく自分たちでJ1に上げたチーム。外にいて、J2に落ちる姿は絶対に見たくなかった」
豊田はその一念で戻ってきた。
しかし苦難に喘ぐチームで、エースは脇役を演じざるを得ない状況に置かれている。クラブはFWとしてトーレスだけでなく、鹿島から元日本代表の金崎夢生も獲得。豊田はトレーニングに真剣に打ち込み、プロフェッショナリズムを見せることでしか貢献できなかった。当時のマッシモ・フィッカデンティ監督は「豊田はトーレスの控え」と頑なで、他の選択肢を持たなかったのだ。
結局、豊田は8試合に出場したものの、すべてが途中出場。ゴールはひとつもない。
「自分は鳥栖というチームで、他の選手が点を取らせてくれたと思っているので……」
豊田はもどかしさを隠して言う。
「豊田シフトを敷いてくれていたんだと思いますよ、自分中心のチームで。だから、ゴールすることは自分の仕事でした。ゴールすることでチームを引っ張れたし、みんなに恩を返せていたんです」
たとえゴールすることができなくなっても、豊田は求められた役割を忠実にこなした。仲間を思い、力を出し尽くす。それが鳥栖のスピリットだからだ。
「クラブは大きくなっていくべきなんでしょうけど、鳥栖らしさみたいなのは残していってほしいですね。ピッチに立てない自分の影響力が少なくなっているのは、もどかしいですけど。鳥栖が好きで、自分はこのクラブでやってきたから」
豊田は鳥栖への愛情を吐露している。