467738☆田舎者の夢 2019/10/12 09:51 (SO-05K)
男性 46歳
井川さんに感謝
町田の話を聞くと、町田サポは、今、どんな気持ちだろうか。
鳥栖は、クラブ発足時に、フューチャーズが商標の関係で使用できず、サガン鳥栖となった。初めて聞いたとき、ダセーと思ったが、ユベントスと語呂が似てて、今は、愛着があるし、ユベントス、サントスとの3大トスが、CWC対戦するを夢見ている。
クラブ発足時から、経営はガタガタ。2005年からクラブ経営を、井川さんに代わって、凄く、井川さんに感謝してる。この掲示板で功労者に、井川さんの名前がなかなか出て来ないのは、私としては不思議だった。
経営を引き受けるときに、クラブ名は「サガン鳥栖」、監督は「松本育夫さん」でいくと言ったとき、私は嬉しかった。
そして、、プロサッカークラブとは、パブリック・カンパニーであると井川さんが社長に就任して話をされ、また、J2下位に低迷しているクラブを中位に引き上げるためには、他クラブの状況を調べて「7億」必要だと話されたとき、井川さんにクラブ経営を任せたら、大丈夫と思った。収入目標が7億となったことが重要。
変わったものもある。サポーターズNoを12から17に変えた。この経緯は、皆さんも知っているように、坂田さんへの敬意であり、サガン鳥栖だけが、17をサポーターズとして、他クラブとの違いを作った。毎年、フロントは、1月7日に坂田さんの墓参りするようにしたのも、井川さん。これにより、サガン鳥栖の歴史に、物語性ができた。因みに、商品等にブランド力を持たせるには、その商品等に物語性を持たせる必要。
エンブレムは、2006年に変わった。それまでは、佐賀県の形の上にSTが書かれ、色合いも紺を基調としたもので、暗い感じのものだった。経営の視点からも、筑後地方も取り込む方向(2006年からブリヂストンがスポンサーになった。筑後地方の方からも愛されるクラブ)だったので。エンブレムを見て、説明を受けて、このエンブレム、カッコいいと思った。チームカラーも、紺から、サガンブルーとピンクへと明るい色に変わった。
2005年のホーム開幕戦では、井川さん交友のお陰(エイベックスとの関係、スポンサーにもなってもらった)で、平原綾香さんが来て、歌ってもらった。2015年には背中のスポンサーに(半シーズンだけ)、ハウステンボスが着いた。HISの会長と交友のあった井川さんのお陰だと、私は思っている。

また、井川さんは、サガン鳥栖の経営を行うに当たって、(自分はプロサッカークラブ経営の素人だから)松本育夫さんに、クラブ経営について教えをこうたと聞いている。

私は、ガタガタのクラブを引き受けて、経営を建て直す礎を築いた井川に感謝している。赤字はなかなか解消されなかったけど、井川さんが社長をしている間、以前のような、経営が迷走している感じは、しなかった。
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