>>1927061
1991年に当初のJリーグ参加10チーム(オリジナル10)を決める際、静岡エリアからの参入は、日本リーグ(JSL)から参戦し天皇杯の優勝経験もあるヤマハ発動機(ジュビロ磐田の前身)が有力視されていた。ところが、Jリーグの地域密着の理念を体現するのにふさわしい街、チームとして、J参入を目指して立ち上げた清水FCが10チームの枠の1つを得ることになったのだ。 結局、磐田は1年遅れて自力でJリーグ入りを勝ち取ったが、悔しい思いをした当時の選手やサポーターは「絶対に負けられない相手」として、打倒清水への強い思いを後輩たちにも受け継いできた。
一方の清水も、小学生世代の清水FCから始まって、中高生世代でも常に頂点を極めてきたサッカーどころだ。日本サッカーをけん引してきたという自負があり、こちらも同じ県内のクラブには負けられないという強い思いがある。
その対抗意識を地元メディアも煽り、両クラブが対戦する週はまさにダービー1色に染まる。その強い思いを背負った選手たちがぶつかり合うことで、毎試合ヒートアップしてきたのだ。