1059064☆Eきゅー  2025/09/14 14:42 (iOS18.5)
議論する時に、批判する側もされる側も
「意見の批判」と「人格の否定」区別して考えなきゃいけないんだけど、だいたい人は「意見を批判」されると「人格まで批判」されたような気持ちだけにな人が多いと言われる。
だけど、それが起きる理由は批判する側も「意見を批判する」だけのつもりが、「人格の批判」までやってしまっているからなんだと思う。

さてサッカーの話
サッカーの試合の「プレー批判」は大いにすべきだと思う。監督の采配や交代策まで含んでいいと思う。サッカーの文化だよ。でも「人格の否定や批判」までやってしまってないかな?
なぜ「プレーの批判」はいいかというと、事実ベースで検証できるから。そこから再反論も生まれてくるだろう。

「人格の批判」は、結局、目に見えていないものを個人の想像や願望で補って「きっとこういう人間に違ない」「きっとこう思ってた」という検証不可能な身勝手な根拠で人格攻撃しているただの憂さ晴らしだと思う。
それで個人を追い込んで不幸な結末を迎えた芸能人や有名人がいたことをお忘れなく。

公の場所で批判するときは、言葉を紡ぐ前に
「批判」と「人格の否定」を混同させてないか
ひと呼吸おいてみるのもどうでしょうねえ。

それなら通報されるどころか、前向きな議論ができると思います。
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