No.1167912
1998年の開幕戦は横浜国際総合競技場での横浜ダービー、大島秀夫は遠藤保仁と共に高卒新人ながらスタメン起用された。
フリューゲルス消滅に伴いマリノスと合併、横浜F・マリノスには吉田孝行が加入、大島秀夫は京都に移籍。
吉田孝行は2000年途中に出場機会を求めて大分に移籍、大島秀夫も2000年で京都から戦力外通告を受け山形へ移籍。
山形でゴール量産しキングの称号を得た大島秀夫は2005年に岡田武史監督の希望もあり横浜F・マリノスへ加入。
吉田孝行も大分でレギュラーだったが2006年に横浜F・マリノスへ復帰、一部報道で親友の松田直樹が獲得を希望したとあったが横浜F・マリノスは否定した。
2007年に吉田孝行は右サイドハーフとしてスタメンも多かったが戦力外通告を受け、神戸へ移籍。
大島秀夫も2008年にチーム最多ゴールをあげながら戦力外通告受け、新潟へ移籍した。
吉田孝行監督は大島秀夫監督との対戦について『お互い年を取ったな』と笑ってコメントしていた。