No.261066
仮に答えがあるとして仮定して論争をしてみたとしよう。
むかし地動説を主張しているひとたちがいました。天動説はいったいどうやって受け入れられたのか。天動説の正しい言説に納得したのではなく、地動説を主張するひとたちが故人となってからようやく認められたそうです。
つまり、仮にそれが間違っていたとしても目の前で理論的に証明しても認めないひとは認めない。感情や主義主張が邪魔するからです。
特に日本人は議論のなかに人格を混ぜるからややこしくなる。議論に負けたほうは人格を否定されたように思い、余計に根を持つ。本来議論は人格とは関係なく行われるものです。宇宙に果てがあるかないかは人格に関係ない。
つまり争う必要ないことは争わないことが賢明です。論争する価値あることに費やしたほうがいいです。
サッカーはあいにく90分で、一シーズンでちゃんと答えが出ます。論争も文化のひとつ。争ってもお互いをリスペクトできる。だからサッカーについては多いに議論すべきであってそれを楽しむ勝 価値がある。