No.272341
選手たちに解に辿りつかせるための思考のアシスト役みたいなことができる意味でモフモフは貴重な存在だったんだと思う。
ボスが自ら語らないというのは、一義的に解釈されるのを嫌うから。それだと詰め込み教育かパターン式になる。
孔子の教えも弟子が『先生はこんなことを言っていた』から始まるし、キリスト教も弟子が『あの方はこういうことをした』から広まっていった。
『あの方はこう言っていた』と語るやり方は、第三者によって多様な解釈を生み深いものになるってやり方なんだよね。教義的なコーチング。
そういえば、リージョとかも抽象的なたとえでしか語らなかったけれど、たぶんあれも同じことだと思います。