トリコロール通信 
No.284340
ととろさん

今から考えると当時は監督やフロントに不信感があったようには感じます。
監督が外国人でその都度選手起用が変わっていた、更にフリューゲルスとの合併もあり選手枠や人件費の問題もあったはず。
当時を考えると昨年の栗原のように選手とフロントが納得する結論を出せるようになったのはチームとしての成長ですね。
1995年のディアス退団・川口能活デビューを報じるニュースステーションだと思われる動画。
試合前の会場でソラリ監督に納得しなかったディアスの会見やるというのも今では考えられない、体調不良の松永と報じられてますがソラリ監督と喧嘩したからです。
それだけ選手もプライド高かったし、ポジション争いで選手同士が仲良くなかったりしたみたいです。

イタリアW杯予選は結局アウェーで完敗して最終予選まで行けずに敗退、松永はラフプレーで鼻骨を骨折したと思いました。
井原は確かオフト監督のドーハの悲劇でも7番付けていたはずです。

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