ああ
No.562911
30年間のマリノスで一番辛かった2001年
直前にナビスコ初優勝しながら残留争い。
FC東京にはリードしながら試合終了間際に失点、延長戦でもゴール奪えずドロー。
鹿島に先制しながら追い付かれ、延長Vゴール負け。
磐田にもバックパスのミスから延長Vゴール負け。
そこからの2週間は何やってる時でも勝ち点計算しかしてなかった記憶、夢にまでマリノス降格が出てきた。
ガンバに逆転勝ち、神戸にドロー、福岡が負けて辛くも残留。
サポーターは残留のために何をすべきか考え、スタンドにお酒や塩を撒いてお清め、選手のプレッシャーになるから「残留」と書かれた横断幕や旗は禁止、試合中スタンドをトリコロールに染めるため旗を持ちながら応援、必死だった。
最後の神戸戦はラザローニ監督が前節の退席処分でベンチ入りできず、俊輔も累積警告で出場停止。
残留決まり緊張から解き放たれ体調を崩す選手が続出、選手・スタッフもギリギリの状態だった。
松田直樹は残留争いの中でJ2降格したとしてもマリノス残留を明言、翌年のW杯メンバーに選ばれなくても構わないとまで話していた。
すべてが異常だった、冷静さを欠いて焦っていた、でも当時頑張った方々がいたからJ1に居続けられてる。

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