14262☆あ 2014/10/07 12:40 (SH-10D)
林は東京ヴェルディの宮崎キャンプに 参加した後、今度は鹿児島県霧島市へ 移動し、レイソルのキャンプを訪れ た。
その頃、レイソルは故障者が多発して おり
FC東京との練習試合で誰を1トップに起用するのか。石崎信弘監督(現 札幌)は頭を悩ませていた。FW陣は、フランサも北嶋秀朗も負傷中。 李忠成(現広島)はU-23日本代表に招集され、キャンプ途中でレイソ ルを離れ、アメリカ遠征へ向かってしまった。前線の駒不足は深刻 だった。
いきなりの先発―――
そこで石崎監督が目を付けたのが練習生の林だ。
「林、1トップに入ってくれ」
石崎監督は林にそう告げた。
「え、マジで?周りの選手のプレースタイルも全然わからないの に……。フランサの代わり?」
口には出さなかったが、焦りは尋常じゃなかった。まだ練習参加初日 で緊張すら抜けていない。にもかかわらず、いきなりスタメン出場で1 トップを務めることになった。
ぶっつけ本番のこの起用、機能する方が稀である。パスの出どころ、 受けるポイント、動き出しのタイミングがまったく掴めず、背番号40 の練習用ユニフォームを着た林と周囲との連携は、当然のごとく噛み 合わなかった。
3日間の練習参加を終えると、その次は横浜FCのキャンプへ向かった。 だが今でも林が「忘れませんよ。あれはすごく緊張しましたからね」 と苦笑いを見せながら振り返るほど、レイソルのキャンプ参加は印象 深い出来事だったようだ。
そして、これが林とレイソルとの最初の接点だった。 *
それから2年。ルーキーイヤーの1年間を東京ヴェルディで過ごした 後、運命の糸が再び林とレイソルを引き寄せた。
2010年1月23日。新体制発表会見で檀上に立った林は、訪れた1500人 のサポーターの目の前で力強い言葉を言い放った。
「僕はゴールを決めるためにここに来たので、ゴールを決めます」
その言葉を聞いたサポーターからは拍手が起こった。考え方によって は、この言葉でハードルを上げてしまい、後々自分自身を苦しめるこ とにもなりかねないのだが、数ヵ月後、林はそれが大言壮語ではない ことを証明するのである。