353770☆たまのしまけいし 2021/04/25 10:06 (Chrome)
2011年12月J2昇格を決める
当時は柴田コーチ(現監督)しかプロクラブの監督をやるに必要なS級ライセンスを持っておらず、新監督探しが始まる
確かJ2昇格が決まったのが12月4日 そして12月17日に天皇杯のマリノス戦もあって新監督探しは今より切羽詰まってた状況だったはずです

候補に挙がったのが名波浩氏、大榎克己氏 
名波氏は加藤GMが東京ヴェルディの強化部をやっていた時に移籍してきてその繋がりからオファーに行ったとか
大榎氏は加藤GMと同年代、ヴェルディの加藤、エスパルスの大榎として現役時代は対戦もしていました。

しかし、両者にはお断りされてさぁ困ったどうしようと思っていたら湘南ベルマーレの監督やっていた反町康治氏が退任
ダメ元でオファー 大月社長、八木副社長、加藤GMの3人で反町氏に交渉に行きました
反町氏は最初は監督業をしばらく休み、翌年のロンドン五輪の解説業などを現場から離れてサッカー関係の仕事をしようと考えていたそうです
なので最初のアタックはお断りされたと思います

それでも諦めなかった山雅フロント陣
2011年12月28日 等々力陸上競技場で行われた天皇杯 湘南ベルマーレ対京都サンガの試合のあとに反町氏再アタック
「時間をくれ 年明けには結論を出す」となったそうです

そして2012年1月6日 反町氏から「お世話になります。」との返答 松本山雅FCの監督就任でしたね。
(もし反町氏にお断りされていたら柴田さんが監督になっていたのかな?保険的な感じで候補ではあっただろうし)

これは2010年オフに故・松田直樹さんを加入させたときと似たような流れでした。

この頃のフロントはとにかくクラブをJリーグに上げて生き残るようにしないといけないと必死だったのは見て取れました

しかし、今はどうでしょう・・・
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