388518☆ヤマネコ 2021/07/03 02:21 (KYV36)
2010年12月31日、松田直樹は松本山雅と契約を電話で行った。当時の社長大月に出した条件は、「チームとサポーターと会社が一体となって闘う。」でした。
代表チームの主力であっても、監督と衝突しチームを離れながら、母体のマリノスでは、永遠にマリノスと言われた中、2010年シーズン終了と共に戦力外となった。いくつかのオファーの中、JFLの山雅を選んだ。
当時のインタビューで山雅は凄い、みんなが言う、キラキラ光りながら、半端ないと。
このチームを全国区にしたい。お金は関係ない、自分の夢はここにしかないと公言していた。
・・・残念ながら、心筋梗塞で志しなかばで急逝した。
松田直樹が残した「闘志を見せろ‼魂見せろ‼」と鼓舞した言葉はJリーグに参入した山雅のベースになった。
知将、反町康治と、3番を引き継ぐ、田中隼磨選手の活躍も効をそうし、松田直樹選手の夢を実現し、2度のJ1昇格を、私たちの松本山雅は実現した。
奇跡のチームが松本に生まれた。
今年、気持ち、闘争心という言葉が空回りし、この掲示板でも非難された。
もしも才能も技術も同等ならば戦術で上回る事もできたかもしれない。
今年集まった選手たち、才能も技術も間違いなく有る。高さは群を抜き、次世代のスピードスターや一本のパスで局面を変える才能が有る。センターバックの若者たちの瞬間のきらめきはサムライの壁を上回る予感さえ漂わせている。
・・だが・・・・・・足りなかったものがある。
もう今日になった。
松田直樹と同じ時代に代表の10番を背負った名波浩監督のホームデビューを緑の壁で迎えよう。
松田直樹と田中隼磨、山雅の3番の想いと共に、闘う魂と負けない気持ちを知る12番達よ、
・・・立ち上がれ‼