99052☆緑虫 2016/08/04 13:03 (ASUS_Z010D)
2011年
一応、当時を体験している者です。
マツは判定に不服でピッチに座り込んだりした時もありました。山雅で最初で最後のゴールの時は負けていたので一目散に良輔とボールを取りに戻ったり、僅か半年程でしたが全てに華のある選手でした。
その年、マツが亡くなった後は山雅はほぼ毎試合といってもいいくらに退場者が出ましたが、それも何としてでも上にあがりたいという選手の気持ちだったと思います。
選手もクラブも物凄いプレッシャーを負いながらやっていたと思います。
ただ、あのシーズンはサポも選手もクラブもまさに「想いは一つ」で団結していました。
昇格を決めた試合は宮崎でしたがアルウィン近くの体育館でPVがありました。そこで皆で抱き合って喜んだ事も忘れられません。
松田直樹が愛したクラブはマリノスである事は違いないと私は思っていますが、最後にいたクラブとして天国で山雅の事も愛着を持って見守っていてくれたらいいなぁ、と思っています。
「J1に上がってマリノスをぶっ潰す!」が確かマツの夢だったと思います。来年、夢を叶えましょう!