1313503☆ああ 2025/05/16 06:58 (Android)
ここで佐賀と秋田の交流の歴史を一つ
戊辰戦争の際、秋田藩(久保田藩)は新政府側についたため奥羽列藩同盟を組んで幕府側についた東北諸藩の中で孤立しました
新政府側は佐賀藩(武雄)を中心とする部隊を派遣し秋田藩を救出
その縁で武雄市と秋田市の間では今でも交流が続いています
以下、「広報あきた」2025年4月4日号より
幕末の戊辰戦争の際、秋田の地でともに激戦を繰り広げた佐賀藩士と、これを慰霊する「葉隠(はがくれ)墓苑」を縁として交流を続けている武雄市から、アームストロング砲のレプリカが寄贈されました。
当時、新政府側についた秋田藩の窮地を救ったのが、アームストロング砲とともに援軍に駆けつけた佐賀藩の活躍でした。こうした歴史を教訓に、平和を願う両市をつなぐ友好と絆の証(あかし)として、レプリカは西部市民SC2階に常設展示されています。